稲佐の浜というのは出雲大社から西へ約1.5kmの位置にある浜辺です。
弁天島と屏風岩があります。
国引き神話の舞台になっているのです。
11年前(一度目)の出雲と松江への輪行旅行のときに出雲ではものすごい雨に降られたので、稲佐の浜へ行くのは辞めておこうかと思いましたが、出雲へ行ったら少なくともこの稲佐の浜にも行っておくべきであるという話を前にブログで書いたことがある手前、行かずばなるまいと雨に濡れながらも行ってきたのです。
やはり雨が降っていると稲佐の浜は見にくいかなと思います。写真もボケているのが多いです。ちなみに屏風岩の方は行ってません。人んちらしいし。
一度目:稲佐の浜とは
さて、まず稲佐の浜について引用します。
稲佐の浜(いなさのはま)|出雲観光ガイド【出雲観光協会公式ホームページ】
国譲り、国引き神話の舞台
出雲大社の西にある海岸で、国譲り、国引きの神話で知られる浜。
浜辺の奥に大国主大神と武甕槌神が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。
また、この浜は、旧暦10月の神在月に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でもあります。
このように由緒ある浜で、出雲大社同様に相当な賑わいを見せているのではないか?
行列が長すぎてなかなか浜まで辿り着けないのではないか?
などと行く前は危惧しておりました。
ですが、それらは全くの杞憂というもので、あいにくの雨の効果もあり稲佐の浜はワシの独占状態でした。出雲大社から徒歩で10分ぐらいで行けます。
というわけで、大雨のなかの稲佐の浜の写真も良いかもしれませんが、出雲観光ガイドのサイトの稲佐の浜は尚キレイな場景です。
出雲大社にお出かけの際は是非とも訪れていただきたいものです。
雨に降られて、浜辺にぽつんとある弁天島をこれまたぽつんと一人で眺めつつ「自分はこんなところで何をしているんだろう」と茫然自失したのも否めません。
そんな気持ちのためか、出雲訪問から2ヶ月近く放置してしまっての、この稲佐の浜に関する記事の公開となりました。
はっきりいって、「別段なにも書くことがない」って感じだったのは写真をご覧になってお察しいただけると思います。
でも世の中には稲佐の浜ってどんなところだろうと検索してこの記事に行き当たり「ああ、雨だとこういう風情なのね」とごく僅かでも参考になるかもしれないという期待も込めてお届けします。
一度目の稲佐の浜訪問のまとめ
はじめての出雲では雨に降られて文字通り「ほとんど日の目を見なかった」ので是非再び訪れる機会があったらお天道様も一緒にお目にかかりたいものと切に願うものです。
二度目の稲佐の浜
二度目の稲佐の浜は余裕です。雨が降っていたって平気です。なぜならレンタカー利用してるから。手持ちのドライブレコーダーをレンタカーに取り付けて駐車場やらその他車窓の景色も撮る余裕があります。
そんなわけで稲佐の浜にはちゃんと浜辺に並行して駐車場があるということも今回知りました。20台程度は停められるようになっています。よほどのシーズン(海水浴とか?)でなければまあ停められるんじゃないかな。そんなにいつまでここにいるってわけでもないでしょうし。
遠浅の浜に不釣合いな弁天島に触ろうと思えば触れる
浜辺にこんなふうにドデカイ岩がボンって置いてあるって実に不思議じゃないですか?
他の浜辺、例えば関東なら九十九里浜とかでこんなの見たことないです。といっても当方海無しの埼玉県人ですから行っても気づかなかっただけかもしれませんが、それでも奇妙です。
遠浅の浜辺に置いてあるように弁天島がありますが、波があまり打ち寄せて来ないところにありますので近づいていって触ることもできます。
しかし触る気になりません。祟られたら嫌じゃないですか。それとも何かご利益ありましたでしょうか。
弁天島上のほうに祠がある
今回よく見てみると上のほうに鳥居があるじゃないですか。
祠があるんですか?
▼カメラで近くに寄ってみます。たしかに鳥居と祠があります。その手前に一応段々になっていてかなり高低差ありそうな階段みたいなのが1段下がったところに存在します。
▼さらに望遠してみるとたしかに鳥居の手前が一段低くなっているようです。かつてここにお参りすることができたのでしょうか。昔はこの弁天島の半分以上埋まっていたとか?それとも昔の人はよじ登ってお参りしてたとか?
現在祀られているのは豊玉毘古命
昭和60年前後までは、島の前まで波が打ち寄せていましたが、近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるようになりました。
神仏習合の頃には「弁財天」が祀られていましたが、明治のころから豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られています。
かつてはもっと深く海に沈んでいたと考えるのが妥当のような引用内容です。
現在は豊玉毘古命が祀られているとのことですが、ネットで検索すると豊玉姫はでてきますが、豊玉毘古命という名前はヒットしません。出雲観光協会公式ホームページが間違ったことを書いているとも思えないので謎は深まるばかりです。
豊玉毘古命とは別名ワタツミ=海の神のことでした。納得。
【追記】豊玉毘古命(豊玉彦命)について令和と関係あるエピソード
古事記を読んでいるとこの豊玉彦命の名前もでてきます。
山幸彦が海幸彦から借りて失くしてしまった釣り針を見つける手伝いをしてくれて、さらに海幸彦を懲らしめる魔術まで伝授してくれたのがこの豊玉彦命です。
さらにいうとこの豊玉彦命の娘である豊玉姫命(とよたまひめ)を山幸彦は嫁にしました。竜宮城みたいな豊玉彦のお屋敷から陸に戻った山幸彦のもとへ嫁である豊玉姫が訪れて懐妊を告げます。
豊玉姫は浜辺に産屋を作ってそこで産み落とそうとしますが、そのとき「わたしが生むときの姿を決して見てはいけません」と言われた山幸彦はそれでも心配のあまり覗き見てしまいます。
海中での本来の姿でのお産を見られた豊玉姫は「本当の姿を見られたからにはもはや貴方様とは住めません」と言って子供を残して去っていきました。
その生まれた子どもたちのうちの一柱が鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)といいまして神武天皇のお父さんです。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!令和!までつながる話。
ということで、豊玉彦命の娘である豊玉姫との間に生まれた子供の一柱が神武天皇のお父さんでして、豊玉姫を孕ませたのが天孫降臨してきた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の息子である山幸彦という話です。